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世界の被災地

 へんなタイトルですみません。

 3年前まで、フィリピンのマニラにいました。フィリピンは、自然災害のとても多い国です。なんといっても、台風の生まれる場所&通り道。そして、火山、地震、地滑り。赴任していた2年8か月、何度被災地の取材をしたことか。

 なかでも、忘れられないおばちゃんたちがいます。

 2006年11月、ルソン島南部の火山周辺で泥流が発生し、1500人近い人々が一気に流されて行方不明となりました。

 被災地は、家の軒先まで届くほどの泥に埋まっていました。乗合バスを必死に掘り出している人がいました。道路には遺体が並べられ、すべてを失った住民たちは、教会や学校に身を寄せていました。

 そんな避難所のひとつに行ったときのことです。

 被災の翌日か、まだ2,3日後のことだったと思います。子供6人と夫を一度に亡くしたおばちゃんがいました。家は数メートル積もった泥の下。何もかも失いました。それでもおばちゃんは、笑っていました。笑ったあと、いっぱい泣きました。子供の写真はこれしかない、と言って見せてくれたのは、遺体の写真でした。隣にいたおばちゃんが、肩をぎゅっと抱きしめていました。

 取材を終えて、外に出た私の目に飛び込んできたのは、ピンとしわをのばして干された洗濯物でした。狭い校庭のわずかな場所を見つけて干された洗濯物は、泥流を起こした数日前の嵐など忘れたような青空にゆうゆうと泳いでいました。

 フィリピン人は洗濯とアイロンが大好き。Tシャツだろうが、下着だろうが、柔軟剤の香りをさせ、アイロンをピシっとかけて着ます。

 「どんなに悲惨な目にあっても、洗濯さえすれば、日常を取り戻せる」

 避難所の洗濯物は、そんなおばちゃんたちの信念のようにも見えました。

 貧しいフィリピンの被災地。それでも私の見た避難所は、整然と被災者が暮らし、炊き出しが行われ、援助物資が届けばみんなで分け合っていました。呆然と座り込む人たちもいたけれど、真っ先に立ちあがったおばちゃんたちは、大好きな洗濯をして、おひさまの下では笑っていました。夜中、暗闇の中でひとり泣くことがあっても、朝がくればまた励ましあって今日を生き抜いていました。

 今回の東日本大震災で、世界は日本人の我慢強さに驚嘆しました。未曾有の災害に直撃されても、理性を失わず、前向きに立ちあがろうとする姿に世界中が感動しました。

 海外で日本の姿を見ている私も、感動した一人です。だからこそ、私は、それを「日本人の力」というよりも、より普遍的な「人間の力」なのだ、と考えたいのです。日本人が素晴らしいというよりも、人間が素晴らしいのだととらえたいのです。

 フィリピンの泥流被害もまた、ひとつの地域があっという間に泥に埋め尽くされるという未曽有の被災でした。そしてその避難所でも、今の日本の被災者たちのように、助け合い、励ましあい、歯をくいしばって立ち上がろうとしているフィリピン人たちがいました。

 信じられないような悲劇に見舞われたとき、ひとは持てる力のすべてを振り絞って生きようとするものなのでしょう。大切な人たちを無残に奪われたときでさえ、人間は、どうしようもなく、生きていくように創られている。

 突然どん底に落とされ、理不尽にすべてを奪われた人間の心に、最後に残るものが何なのか。大災害の被災地は、それを見せつけてくれます。

 日本であろうと、フィリピンであろうとそれは同じものでした。

 

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