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お墓の話

 本日、2年前に亡くなった父の命日でした。カンボジアとは直接関係ないのですが、父と母と私のお墓の話を。

 父の墓は、東京・町田の「いずみ浄苑」というところにあります。でも、普通のお墓じゃなく、父は「樹木葬」を選びました。

 墓地の一角に仕切られた芝地があり、そこに個々の墓標は立てず、遺骨を、ほぼ直に埋めます。芝地は、少し高い盛り土になっているので、その上をだれかが歩くということはないのですが、埋めた跡は残らず、一見しただけではどこに埋葬されたかはわかりません。(写真をアップできず、残念!)http://www.izumijouen.co.jp/graveyard/sizen.html

 町田いずみ浄苑の樹木葬墓地「宙(そら)」の場合、一人分の敷地は24センチ×24センチ。そしてお値段は・・・

 ・・・一区画、40万円でした。これ以降、維持費など一切の経費はかかりません。一回きりの出費です。(すでに全区画完売だそうです)

 生前、父と母は、私と兄に、さらにその子供たちに墓の面倒を見させないためにはどうしたらいいか、といろいろと考えたようです。そのなかで、かなり早い段階で「樹木葬」に目をつけていました。

 樹木葬の目的は「土に返ること」なので、本来は墓地というよりも、山野の許可された一画に、地べたに埋葬されるべきものでしょう。実際に、樹木葬が始まったころの埋葬地は、許可を受けた山や森の中だったと聞いています。

 父と母が選んだのは、従来の墓地と、樹木葬のちょうど中間ぐらいかな、と思います。地べたに埋葬するのは、ちょっと抵抗がある。でも、墓標を立てた従来の墓地ではないものにしたい。埋葬地を少し段差をつけた芝地にし、特別な場所だということがはっきりと分かりながらも、個々の墓標を立てないという「いずみ浄苑」の樹木葬は、その中間です。

 自分たちの「身の始末」を考えたとき、母も私も、この方式がとても気に入りました。しばらくは、子供たちや孫や友達が手を合わせに来てくれる。だから、海や河への散骨はちょっとさみしい。でもいつか、だれもこれなくなったら。大きな墓地では、荒れ果てたお墓をいくつも見ます。そうなるぐらいなら、だれにも迷惑をかけず、いつの間にか静かに土に返る。それはいいな、と。ということで、母も私も、それぞれの敷地を買いました。

 そうなんです、ということで、私はもうすでに墓まで持ってるんです。そこへいたるまでの道筋はまだまだ分からないけれど、死んでから眠る場所があるっていうのは、買ってみて初めてわかる安心感。不思議な感覚です。

 父に、がんが見つかって亡くなるまでの時間は、わずか半年でした。その半年は、ちょうど、私が会社に退職届を出してから、カンボジアへ渡るまでの時間で、私は20年以上ぶりに父と母といっしょに暮らした日々でした。

 短い時間でしたが、最期は静岡がんセンターのホスピスで過ごした父の看病をしながら、いろいろなことを知りました。ひとは、一人では死んでいけないこと。どんな死に方であっても、必ずだれかの手を借りる。それはすなわち、ひとは一人では生きてはいけないということ。それと、簡単には死ねないこと。死にたいぐらいの苦しみだって、簡単には死なせてもらえない。それから、どんなに年老いても、死は恐ろしいこと。死の恐怖と闘いながら、父は、葬式のこと、墓地のこと、残される母のこと、すべて生前に決めていきました。

 死にゆくことは、人間にとって最後の大仕事。父は身を持って、子供たちに最後の教育をしてくれたと思っています。

 

 

  

 

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コメント

今年もどうにか生き延びたかと振り返るぼくにとって、身につまされる話題です。我家の墓は新潟にありますが、ぼくは、この地に骨を埋めるつもりです。この村では、まだ土葬なので、毎日眺めている湖のほとりに、土饅頭を作る土地を予約しました。パチパチと爆竹を鳴らして、村人が葬列を組んでくれる筈です。1000ドルもあれば、全て片付くでしょう。人間至る所青山あり・・・です。

投稿: junchan | 2010年12月24日 (金) 14時12分

そうでしたか。2年前に…。
僕も23歳の時に父を亡くしています。墓は生前、父が帰りたがっていた故郷の大分県中津市にあります。遠いので、なかなか行けませんが、1月に、父が亡くなる直前にもらったのと同じ俳句の賞を僕ももらうために、九州に行くことになったので、その報告とあわせて墓参りもしてこようと思っています。
僕の父は、俳句を遺してくれました。丁度数日前、遺句集を読み返していたのですが、他界する間際の句は、生きることと死ぬことの狭間で、遺してゆく家族と、先に他界した父母や恩師に対する思いを詠んだ句が目立ちます。僕の父の生も死も、やはり一人では成立しなかったのだと思います。
僕にとっての父は、お墓とともに、この遺句集の中にもリアルに存在していて、ひとつの支えとなっています。
あやさんも、たくさんの活字を世の中に残していますよね。そうしたことが出来る環境にあるというのは、得難いことだと思います。
生きた証を、沢山遺して生きましょうね!

投稿: ひげましこ。 | 2010年12月25日 (土) 02時30分

Junchanさん、コメントありがとうございます。「いたるところに青山あり」、身にしみます。私の祖母も、そうやってバッタンバンの心優しい人たちに見送られてなくなりました。

ひげましこさん、お久しぶりです。私の父も、俳句をよみました。70歳過ぎてから始めたのですが、なかなかの写生句で、看病の最中に私が父の句集を編集して手作り本をつくり、それを抱えてなくなりました。著者も編集者も「ど素人」で、ひげましこさんのお父様の御本には、きっととてもかないませんが・・・。ところで、俳句の賞って、すごいですね。ぜひ、「東南アジア歳時記」を編纂してくださいませんか?!

投稿: Aya | 2010年12月25日 (土) 09時49分

俳句の話が出たので・・。亡父も俳句を作りながら亡くなりました。    春宵の水泡の消ゆる如逝きし
    生も死も同じこととかクリスマス
    初看護などと我が顔拭きくるる   小刀子           自分の死を、ある程度客観視して、忘れられない句を残しました。

投稿: junchan | 2010年12月26日 (日) 18時03分

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