知らない、ということ。
タイに住むキャッサバの専門家Mさんが、カンボジアにいらした。キャッサバをはじめとする農作物の栽培を通して、アフリカやアジアで農村開発に長く携わってきた専門家だ。
Mさんが今手がけるのは、カンボジアの障害者のための農村開発。カンボジアの人口の8割は農村にいる。ということは、障害者の多くが農村で暮らしているということだ。ところが、彼らが自立して農業を営める環境にはなっていない。つまり、農村の障害者の多くは、家族の中でひっそりとだれかに頼って一生を暮らすしかない状況にある。残念だが、それがカンボジアの現実だ。
Mさんは、農村に暮らす障害者が、自ら農業を営み、市場を開拓し、生活していける環境を整えたいと考えて取り組みを始めた。まだまだ着手したばかりだが、障害者の視点に立った農村開発、ということだ。
Mさんの話の中で、びっくりしたことがある。
「農村で生まれ、育った障害者の中には、同じ障害を持つ人がこの世にいることを全く知らない人も多い」という話だ。
たとえば、ろう者。自分が、他の人と違っているということはわかるが、「自分と同じように耳が聞こえない人がいる」ということを、知らない人たちたくさんがいる、ということだ。この点で、教育がある程度行きわたり、だれでもがメディアにアクセスできる都市部との違いは大きい。世の中で、自分だけが耳が聞こえないと思っているなんて、どんなに孤独な気持ちだろうか。
障害を持っているというだけで、「前世の行いが悪いからだ」と、いわれのない差別を受けることもある彼らは、家族にさえ、うとまれることがある。家族によって世間から「隠されて」しまうこともあるだろう。そう考えれば、外へ出る機会を失った障害者が、自分と同じ境遇の人々がたくさんいることを知らないまま、というのも十分にあり得ることだ。
まずは、仲間がいることを知らせる。一人ぼっちではない、ということを教える。障害者が人間らしく生きていくために、まずそこから始めなくてはならないのか、と、しばし唖然とした。
プノンペンで暮らしていると、前のめりな経済の勢いに押されて気持ちも高揚する。明るいニュースが続き、若々しい国の力にこちらまで元気になる。今も、東京に負けないぐらいおしゃれなカフェで、ネットにつなぎながらパソコンで仕事をしている。でもそれは、この国のほんの一面でしかない。
自分は、カンボジア社会の何と、だれと向き合っているのだろうか。自らの立ち位置を、見つめ直そうと思った。
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